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「さとやん(私)は、変わってるよね。」 PR |
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会社に辞意を表明して1カ月・・・未だに後任者への引き継ぎを
スタートさせてもらえていない。 取引先など、対外的には、私が辞める事をオフィシャルに話していない。 1分1秒でも、はやくスタートさせて、ビジネスに没頭したいのに・・・。 人生なんて、あっという間なんだ・・・日が経過していく事にフラストレーションがたまる。 生殺し状態だ。 怒り、苦しみ。感情を押し殺して虚勢を張って仕事をこなす。 独立したら本当のいばらの道だ・・・そう思って、今を乗り切るしかない。 「明日から会社来なくていいよ。」 ・・・私は今、世界一この言葉を言われたい気分だ。 ・・・ああ、それにしても時間がもったいない。 |
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前回の記事で、私の勤めている会社の、
出資会社で仕入先メーカーであるA社との、 微妙な関係について書いた。 我々の会社は、特にここ数年、A社に軽んじられていた。 100%子会社ほどの旨味も無いし、 独立系商社のように好き勝手やれない …悪いとこどりの状況であった。 そんな中、我々の会社のある営業マンが5年前から追っかけていた エコエネルギー関連の新規ビジネスを遂に受注するにいたった。 このビジネスは、私に引き継がれ、その後、数字を伸ばして、 約1年半が経過した。 順調かに見えたある日、顧客の購買部長から、 上司と私が2人突然呼び出された。 購買部長は率直に言ってきた。 「今後、この関連のビジネスで、新規に関しては外れてほしい。」 理由は他社とのコスト競争に勝つため、メーカーであるA社と 直取引したいとの事だった。 直取引が通例であるこのビジネスに、小さい商社が今まで 絡めたことは奇跡であったので、このような話はいずれ来るだろうとは考えていた。 我々は、引き続きやらせてほしい旨を伝え 一旦、社に持ち帰ることになった。 この案件は、社内でも重要案件であった為、直ぐに役員まで 話が跳ね上げられ、緊急会議が続いた。 会議の後、A社の設計者と電話で話したが、既にこの件について 知っていたようであった。 今日、購買部長からA社へも連絡いっていたのだろうか? しかし、この設計者と話していくうちに、 A社の営業サイドへは、既に3日前に連絡があったとの事であった。 この間、A社の営業サイドから我々へは全く連絡が無かったのだ。 しかも、A社の営業担当は、一旦は直取引につき断るべきところを 「検討しますが、まずは販売窓口(我々の会社)に話をしてください。」 と、購買部長へ回答していたのだ。 これはA社の事業部長も同意していたようであった。 完全な背信行為であった。 もうA社は我々の会社を見限っている・・・。 後日、粘った結果、新規案件のうちいくらかは我々の会社 も絡めるようになった。 しかしA社が、社の方針で、我々の会社に背信行為をしてきた事実は変わらない。 A社出身の常務は、今社内で出身母体を抑えられなかった責任を問われたいる。 ・・・A社から天下ってきた役員も、所詮その程度の影響力の人物が下ってきているのだ。 こんな「植民地」で定年まで、自分をだましだまし勤める事ができるだろうか。 前向きに考えるとするならば、こんな惨状の会社を立て直す楽しさ というものがあるのだろうが、そのエネルギーは、私の場合、独立起業に 傾けたいのである。 残りのサラリーマン生活、精一杯、今の会社に貢献して恩を少しでも返したい。 でも、本音では1分1秒でもはやく独立してビジネスをやりたい。 時間がもったいないからだ。 人生なんて案外あっという間なのだ。 はやく一日中、デジタルコンテンツビジネス漬けになりたい。 私がこれから全身全霊をかけてやるビジネスについて 興味がある方は、下記からビデオをダウンロード! ダウンロードはこちらから |
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会社を辞める理由として、後ろ向きな理由しかない場合
または、その後ろ向きな理由が主である場合は、 一旦クールダウンして、思いとどまったほうが良いという意見がある。 それに対して、私も大体賛成だ。 (ただし、生命の危険がある場合などの緊急事態は除く。) 今回の私の転職は、コンテンツビジネスを時間を割いて やりたいという事が、最大の理由だ。 だが、それと同時に今の会社への不満もある。 ネガティブな要因を強く念じてしまうと、前向きな退職にならないので 私自身もその不満を強引に押し殺している。 ここでは、そのネガティブな要因も曝け出しておきたい。 細かい不満はいくつかあるが、そんなものは生きている限り ついてまわるようなものだし、解決できるレベルの事なので 、ここでは省略し、「最大の苦悩」について書く。 私はこの会社に入社以来、この「最大の苦悩」にほぼ毎日つきあわされてきた。 私だけでなく、この「最大の苦悩」につきあわされてきたのは 会社の部員全員と言えるだろう。 そして、それは、会社内でもなく、顧客でも無いところから発生しているのである。 私の勤めている会社は、材料商社で、大きく3つの事業部門から成り立っている。 戦前からある歴史ある会社で、元々はオーナー会社であったが 約30年前にリコールにより経営が傾き、3つの事業部門のメイン取引先であった 2つのメーカー、1つの商社の資本が入る事となる。 それ以降は、その出資会社から、社長以下役員が来るようになった。 これにより、プロパーの人間が出世する門戸はかなり狭まってしまったが、 その後の堅実な経営により、以前より安定感・社会的信用度は増した。 上場企業であったオーナー会社時代より、逆に倒産の確率も減ったと言える。 良い部分反面、悪い部分反面なのであるが、近年、特に私の所属する部門に 悪い風潮が蔓延してきている。 私の部門は、メインの仕入れ先で出資会社であるA社と、深い関係を持っている。 A社は会社の株の約10%程度を保有している筆頭株主だ。 歴代の社長も代々、A社出身がほとんどだ。 このA社は巨大企業かつ伝統的な日系企業のためか、経営の合理化への方向転換や 決断が非常に遅い。 合理化手段のひとつとして、社内の営業部門の過剰なスリム化を進めている。 その結果、この会社の営業マンで出世コースから外れると、販売子会社へ出向し、 多くはそこで定年まで過ごす。 (中にはA社へ復帰し再び出世の階段を上る人もいる。) そして、今後は、さらに方向性が強くなっていくと見られている。 要は、「とりあえず子会社に負債を預けとけ」という考えだ。 私の勤めている会社は、この「販売子会社」という定義には当てはまらない。 つまり、そこまでA社に縛られるほどの関係ではない。 だが、多くのA社の人間は、我々の会社への出資比率がいくらなのかなど 把握している人間は、ほとんどいない。 よって、「販売子会社」同様、我々の会社へ尊大な態度を取る輩がいる。 そして、我々の部員もその空気に従ってか、工場や設計スタッフとのやり取りまで 本来A社の行う業務のほとんどを請け負っている。 「A社の営業マンは椅子に座っているだけでいいです。その代金として口銭をいただいています。」 ・・・このような感覚か。 販売子会社であれば、この感覚は割り切れるし、直系には上筋の案件が流れていくので 我慢もできるかもしれない。 自分の上司でもない、親会社でもない、顧客でもない人間が、上から物を言ってくる・・・ 会社に入ってからの最大のカルチャーショックであった。 その境遇にいながらも、我々の会社の営業マンは、自力で、まだ荒らされていない 新規案件を拾い集めていった。 中でも5年ほど前から、ある営業マンが、エコエネルギー関連のビジネスを追いかけ ていた。 当時は仕入れ先のA社も見向きもしてくれなかったし、その営業マンは毎回会議で 上司に「こんなの実るわけ無いだろ。出張費の無駄だ!」と怒られていた。 それが2008年のリーマンショック以降、一挙にこのビジネスが脚光を浴びることになり 丁度その仕事が私に引き継がれ、大きな数字となった。 そんな中、その「最大の苦悩」が、我々の会社は、 販売子会社以上である事が露呈する事件が起きる。 (後編へつづく) デジタルコンテンツビジネスには、サラリーマン生活から抜けだし、 経済的・時間的自由を手に入れられる可能性があります。 私が、今考えうる最も合理的で最も可能性があり最もローリスクで出来る ビジネスです。 今時点を考えれば、なんでも「後発」になってしまいますが、 10年後この市場は10倍ぐらいになっているでしょう。 この動画を見て、こんな可能性がある世界がある事を知ってください。 ダウンロードはこちらから |
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今日は午後、部長に呼ばれ、退職時期を10分ほど話し合った。
部長「なんか、退職の話、ずっとほったらかしで申し訳ない。」 私の退職で、色々人をj回転しなければならないようで、こちらも申し訳ない。 きっと、部長にとってもストレスの一つなっていた事だろう。 部長以外の部員も、私を疎外するような空気になってもおかしくないものの 何とも爽やかに接してもらっている。 私がマイペースで鈍感でKYなせいかもしれないが・・・。 どうやら、実際の業務は10月まで、有給消化で、退職日は11月末となりそうだ。 そして、帰り際には、常務にも呼ばれる。 5年前、私の採用面接試験時は、今の常務と今の社長が、面接官の中に居た。 この人は、私が入社した時は部長で、その後5年間で 事業部長、取締役、常務と出世していった人だ。 こう言うと、凄いやり手に聞こえるが、実のところ、関連会社から 苦い経験の後、この会社に流れ着いた人だ。 私が入社当初1年半ぐらいは、みっちり仕事を仕込まれた。 何をやっても怒られ否定されていたような気がする。 私が送るビジネスメールは、いかなるものも、この人をccに入れなければ ならないほど管理もされた。 当時の自分にとっては、本当におっかない存在だった。 他の部員も毎日にようにこの人に怒鳴られていた。 しかし2、3年立つと、かなり私に裁量を任せてくれた。 常務は、どっかの酒の席で「あいつは俺の教育で成長した。」と嬉しそうに話していたらしい。 この人は、かなり失敗をしているし、肝心な時に弱腰だし、決して人望もある人では無い。 特に、ここ最近も大きな失敗をして、周囲に責めたてられている。 そんな情けない人だが、何となくシンパシーを感じるときがある。 面接試験時、この人がまっすぐな瞳で「僕はこの会社を変えたいと思ってるんだ!」 と熱く語っていた姿勢にひかれた。 何社か内定をもらっていたが、他社を断り、この会社に決めた。 この人も、私の何かを見て採用したのだろう。 その小僧が、さんざん育てた挙句、5年後に会社を去っていくとは・・・。 ・・・お互い見る目が無い(笑) 今日の常務は、穏やかな表情で私に話した。 「会社の悪いところがあったら、どんどん言ってほしい。」 不満はあるが、一応、やりたい事があるというのが、最大の理由である事を告げる。 辞めていく身の自分が、何だかんだ言ってもしょうが無いと思った。 また、言葉を選んで、建設的な意見を言いたかったので、その場では発言を控えた。 来週末、常務と飲みに行く事になった。 取締役になってからは、ちょっと丸くなっていて物足りない。 一瞬でもいいので、また5年前の毎日怒鳴っていた部長に戻ってほしい。 そして、最後に今の自分と、がっぷり四つで、良い意味で喧嘩したいものだ。 |
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