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東京に住んで約5年・・・ 私は横浜出身なので、東京の隣でしたが、 何となく今日はこの曲を何回も聴いています。 ザラついた苦い砂を噛むと・・・ PR |
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昨日は、私の顧客で最も小さい零細企業を訪問した。
この顧客へ行くのは3年ぶりぐらいだろうか、電話やメールの やり取りはあったが、リーマンショック後に与信管理として 訪問するべきであったが、多忙で、行けずじまいであった。 ここ数カ月の取引金額の増加、評点の異常な低さ、 またこの会社は30年前に不渡りを出した事がある、 これらの背景があり、訪問して調査することになった。 3年ぶりの横浜市内の某駅・・・駅前の開発が進んで 景色が一変してしまった。 しかし少し離れると変わらぬ風景があり、何となく懐かしくなる。 この町は昔は別の顧客もあり、20代のころよく通っていた。 今は顧客が海外進出でこの町の拠点を閉めてしまった。 駅から2kmほど離れた住宅街に今回調査する会社がある。 会社の前に到着・・・自動加工機の音が聞こえる。 入口から名を名乗のると、社員の方に続き、社長が出てくる。 「やあ、どうも」 一時期、肝臓を壊していたようだが、元気そうだ。 社長からは、私と軽く飲みたいので、夕方ごろ来るように言われたいたが 早めに到着してしまった。 しばし、作業場で社長から会社の状況をヒアリングしたり 社員の方と実務の話をしたりする。 この会社は社長、社員2名、パート2名の計5名だ。 固定費は、人件費、監査機関の管理費、光熱費 ・・・・合わせて150万円/月ぐらいか。 人数が少なく、建物は持っているし、設備も購入済みで ランニングコストも大して無さそうである。 製造業なのに、ここまでスリムな組織は逆にしぶといと見る。 単純に毎月150万円の利益を生み出せばいい。 私自身もこれからの独立後のやりくりを思うと、非常に臨場感のある話で面白い。 不安要素は、64歳になる社長の健康状態と、後継者である息子さんだ。 社長は思っていたより体は調子良さそうだ。 息子さんはちょっと抜けていそうな印象があるが、 社長の実直さを受け継いでいる。 定時になり、社長と2人で駅へ向かい、周辺の飲み屋へ入る。 昔は週10回ぐらい飲んでた社長であるが、肝臓を壊してからは 週1回にしているようだ。 「私もこの会社をはじめて45年ですよ。」 「何とか皆さんに支えられてやってこれたかな。」 「ここまで食ってこられて、孫もいて、とりあえず欲しいものは無い。 後は、自分が世の中の為に、残りの人生どんな事ができるかなって思う。」 本当に心が純真な人だ。 学歴があるわけではないが、同業者には畳む者もいるなか 45年間、倒産させず会社を存続させてきた。 そして、周りへの感謝を忘れない心、これで周囲は社長を信頼する。 この会社は、この信頼で大手企業からの引き合いが向こうからダイレクトで来る。 信頼関係は、これから私がビジネスをしていくにあたっての哲学のひとつである、 これが無ければ売り切りの焼き畑農業になり空しさだけが残り、トータルで見れば 短期間でしか稼げないだろう。 簡単な事のようでとても難しい事だ。 これを自然体でやれている社長は、ある意味ビジネスの天才だ。 社長の息子さんも実直な方だと見受けれるが、まだまだ社長のサポートが必要だ。 社長にはお体だけは大事にしていただきたい。 |
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今日は社長を、数名の中堅・若手が囲み、会食をした。
私の勤める会社は、大手の系列ではあるが、中規模の会社 なので、それほど社長との距離は遠くない。 とはいえ、私みたいな主任クラスは、社長と少人数で飲んだのは 過去数えるほどしかない。 会食の最中、思わず私が辞めることの話題を出してしまった。 社長は既に知っていたようだ。 「キミはやりたいことがあるそうだね。」 社長は、表情を変えず、おだやかに言った。 さすがにトップだけに貫録がある。 私は、決してネガティブな気持ちで辞めるわけでは事と 残りの期間を精一杯やることを伝えた。 周りの同僚たちの中には、今日初めて知った人も いたので、一瞬その場が凍りついた。 やがて「会社をこうしたい」などの熱い活発な意見が飛び交い その場が沈む事は無かった。 社長を駅まで見送り、同僚と3人で2軒目へ行く。 2人は、同じ部署の仲良くさせてもらった先輩だ。 1人は今日はじめて知ったので、相当落ち込んでいる。 「ところで、お前ほんとなのか?実は冗談だろ?」 ・・・そんな事を言っても頑固な私の意見が覆らない事は 知っている上で言っているのだろう。 「独立して何をやるんだ?」 「そんな事をして勝算があるのか?」 ・・・こんな質問に対して、私も説明はするが、 その背景にある「私の生き方」の哲学は決して 一朝一夕で築かれたものではない。 あまり深く説明してしまうと、サラリーマンという 生き方自体を否定しかねない事になるので、すべては話せない。 もう一人の先輩が言う。 「お前の頑固で我儘で面倒くせえところが嫌いだ。」 「お前に辞められると、部の屋台骨が崩れる。」 ・・・この先輩は100人いたら99人に好かれるタイプのお調子者だ。 そんな八方美人の先輩が、ハッキリ言ってくれたのは それだけ私の事を買ってくれてからだと思う。 本当に私は自分勝手だ。 先輩たちの意見は至極真っ当だと思う。 こんなご時世に、平凡な男が独立いして生きていくという 真っ当でない事が実現できる事を、身をもって証明したい。 |
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会社に辞意を表明して10日目。
辞意を上司に伝えた日以来、社内の誰ともその件について話をしていない。 これは絶対に話がラインの途中で止まっている。 明日は社長との会食とやらに呼ばれている。 上司の面子を潰さないよう、フライング的な発言をするつもりは無いが、 言いたい事は臆せず言ってしまうだろう。 社長は、私がこの会社に入った時に専務で、最終面接の面接官だった。 温厚で口数はあまり多くないが、言葉を選ぶ人だ。 ただし、無言のプレッシャーというものを駆使する。 本当に大変な時期に社長になった人なので経営者として苦労されていると思う。 周りに同格の人間がいないので、相談相手が無い苦しみがあったであろう。 私も、これから一応自営業者になり、従業員こそ抱えるつもりは無いものの 経営者らしきものになる。 経営者のエッセンスを少しでも感じ取れれば収穫だ。 採用してくれた御恩は、いつか会社の株を買って還元できればと思う。 |
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会社に辞意を表明して1週間。
やはり、おかしい・・・。 同僚は、私に変わらず接してくる。 何年後にも会社に私がいることを前提とした会話なのだ。 私が辞める話は課長、副部長、部長のところ だけで止まっているのだろうか? 私は、社内ではこの3人にしか話していない。 後任の人事を選んでいるような動きも全く無い。 1週間経って気が変わったとでも思われているのだろうか? 1日でも早く本格始動したいのに。 木曜日に中堅・若手の数名が呼ばれて、社長と会食 するのだが、これにも予定通り、私は参加メンバーらしい。 一体どうなっているんだろう?? |
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